「やあ、佐藤さん」
「っ!」
後ろから肩をたたかれて、思わず体がはねた。
声の主は、そんなわたしを見てあははと笑った。
「ごめんね、驚かせたかな?」
「藁長、さん……」
そこに立っていたのは、いつもと変わらぬ笑顔の藁長さんだった。
そう、いつもとまったく同じの。
昨日、あんなことがあったというのに、藁長さんはいつもと同じだった。
「そんなに怖がらないで。まあ、無理もないけどね」
「あ、の……」
「少なくとも、5人の間で決着がつくまで君には誰も何もできないんだからさ。
男たちの戦いを、かぐや姫気分で見守ってればいいよ」
あはは、と。
また、いつもと同じように笑う。
その平然とした様子が、わたしは怖かった。
かたかたと震えるわたしに気がついたのか、藁長さんは張り付いたような笑顔はそのまま、眉を下げた。
「困ったなあ。そんなに怯えられちゃうと、やりにくいんだけど」
「ご、ごめんなさい」
「うん。あのね、出来るだけ僕たちに愛想振っといたほうがいいんじゃないかな。
いざって時に、無理やり痛い目見たくはないでしょ?」
言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
理解できなかったから、隙が生まれた。
すぅと藁長さんの唇が、耳元に寄って。
「そういうのが趣味なら、僕はそれでもいいけど?」
「調子が狂っちゃうなぁ……」
「黙ってください!」
「はいはい……」
藁長さんの腕に強く包帯を巻きながら、わたしは思わず大きな声を出した。
こんな状況で、こんなひどい怪我をしているというのに、藁長さんはいつものままで、
わたしのほうが泣いてしまいそうだった。
そんなわたしに、藁長さんはやれやれとでもいいたげな表情で息を吐いた。
「あのね、痛いのは僕であって君じゃないでしょ?」
「そうですけど……」
「じゃあ、そんな顔しないでよー」
「だって……」
そんなこと言われたって、だって、こんなに痛そうなのに。
ぎゅっと唇をかんで、涙がこぼれるのを我慢する。
藁長さんはそんなわたしをじっと見つめて、「じゃあさ」と突然場違いに明るい声を出した。
「真理ちゃん、キスしてよ」
「……は?」
「そしたら、痛いのも飛んでいくかも?」
それは、いつもの軽口だった。
その証拠に、藁長さんの顔には「泣き出しそうな子供をとりあえずあやしとくか」という考えがにじみ出ている。
わたしはなんだか、無性に腹が立った。
腹が、立った、から。
「ッ!?」
ぐっと、藁長さんの襟を掴んで引き寄せる。
目をぎゅっと瞑ってしまったからか、キスなんて初めてだからか、がちっと音がしてしまう。
「……歯当たったんだけど」
「そのぐらい我慢してくださいッ!」
「あーあー、もー」
羞恥のあまり真っ赤になっているだろう顔を逸らして、引き寄せた胸を押しやった。
だけど。
「んっ」
今度は、藁長さんの方から引き寄せられて。
顎に指がかかって無理やりに藁長さんの方に向けさせられて、そして。
唇が重なった。
一分の隙間もなく、藁長さんの唇がわたしの唇に覆いかぶさっていた。
「大人をあまり、煽るもんじゃないよ」
「ずっとついてない、ついてないって思ってたけど」
自分の姿が、見えなくてよかったと思った。
こんな、四つんばいになって腰だけを高く上げられて、蛙みたいな体勢になっているところ、見えなくて良かった。
そんなことを考えて、現実から逃避するしか、わたしに出来ることはない。
藁長さんが腰を打ち付けるたびに、湿った音が響いて、内股を生ぬるい体液が伝う。
まるで、悪夢だ。
だけど藁長さんは、只管に楽しそうで。
「まさか、こんな大一番で勝てるなんて、努力した甲斐があったかなぁ?」
「っ……ぅる、さ……ぃ……」
「あれ、まだそんな口きけるんだ」
わたしは強く目を瞑ったまま、何度も首を横に振った。
屈服なんてしてたまるか。
こんな奴に、こんなことに、負けてたまるか。
わたしが屈服しなければ、この男の願いは叶わない。叶えさせてなんて、やらない。
わたしの気持ちが伝わったのだろうか、藁長さんの動きが止まる。
「……そっかー」
「ひっ」
ずるり、と、急に引き抜かれて短い声が出る。
腰を抱えていた手が離れて、体が崩れ落ちた。
終わったのかと、だけど目を開けるのが怖くて腕で顔を覆った。
けれど、今度は無造作に仰向けにさせられて、顔を隠した腕をどけられる。
「目開けな?」
「い……ゃだ……!」
「あーあ、可愛くないなー」
言いながら、また熱いものが押し当てられた。
だけど、それがさっきと何かちがって、思わず目を開けてしまった。
楽しそうに笑った、藁長さんが、なにかをつまんでいる。
それは。
「――ッ!」
「君が強情張るから」
とっさに、藁長さんの胸を押しやろうとした。
だけどそんな抵抗は、何の意味もなく。
やめて。だめ。それだけは。
「孕んじゃないなよ。僕の子」