「木豆、くん?」
「……!」
わたしの声に、大きな背中がびくりと震えた。
恐る恐る、という言葉が相応しいようなしぐさで、木豆くんが振り向く。
彼に近寄って、わたしは改めて彼が大きいのだと思う。
いつも背を丸めているから、なんとなくそんなに大きく感じてなかった。
「あの、あのね……」
「ごめんなさい……」
「え?」
わたしが声をかけたのと、木豆くんが謝ったのは同時だった。
彼はおびえたように視線を足元に落として、ぎゅっと斜めがけにしたかばんの紐を握っている。
謝罪の理由がわからず、わたしは首をかしげた。
「どうして、ごめんなさいなの……?」
「……あなたは、怒っていないの……?」
わたしの疑問に、木豆くんのほうが不思議そうだった。
木豆くんが、何かわたしを怒らせるようなことをした……?
疑問が顔に出ていたのだろう、木豆くんはあせったように言葉を重ねた。
「だって、昨日、あんなにひどいこと」
「あ……」
「あなたを、あんな……ものみたいに」
言って、ぎゅっと木豆くんは唇を結んだ。
そんな風に、思ってくれていたんだ。
「人って、あったかいんだね」
わたしを抱きしめた木豆くんのその言葉に、わたしの胸がぎゅっと痛んだ。
わたしが当たり前のように親から与えられた暖かさを、木豆くんは知らないんだ。
木豆くんが育った施設がどのようなところか知らないけれど、暖かさは教えてもらえなかったんだ。
その事実が悲しくて、わたしは強く木豆くんの頭を抱いた。
せめてわたしの暖かさが、木豆くんの心を少しでもゆるめられるように。
木豆くんはふふっと笑って、「くるしいよ」とちっとも苦しくなさそうな声で言った。
「……佐藤さん、あのね、どんな花が好き?」
「え?」
唐突な問いに、首をかしげる。
木豆くんは恥ずかしそうに耳を紅く染めて、小さくつぶやいた。
「……おれ、魔女の力なんか使わなくても、花、育てるの、得意なんだ。
だから、教えて、佐藤さんの好きな花」
贈らせて。あなたのために、育てた花。
その言葉の暖かさに、声の優しさに、わたしの言葉は声になって出てこなくなってしまう。
涙が溢れて頬を伝って、とまらない。
いとしい緑の指に、そっと触れる。
本当は、人を傷つけるためなんかに、この手はあるんじゃないんだ。
一緒に花を育てよう。
一緒に時間をすごそう。
そのためなら、わたし、どんなものでも越えて見せるから。
「どこに、いくの」
「ひっ……!」
足首を掴まれて、思わず短い悲鳴が漏れた。
ずるずると、逃げようとした体が引き戻されて、地面を擦る。
地に付き立てた指は、ささやかな抵抗にすらならずに爪の間に土を残した。
はぁ、と、耳元で呼吸の音が聞こえる。
いつの間にか、わたしの体は木豆くんの体の下にあった。
「い、や……」
「うん。おれも、こんなこと、いやだよ」
答えた木豆くんの瞳には、何の色もなかった。声にも、何の感情も乗っていなかった。
ぶるぶる震えるわたしとは裏腹、木豆くんの手にはなんの躊躇いもなく、わたしのブラウスを引き裂いていた。
もはや悲鳴も出なかった。がちがちと、自分の歯の立てる音がただうるさかった。
「でも、まだ、『屈服させ、従わせ、身も心も手に入れて』いないから」
それは、魔女の言葉だった。
屈服させ、従わせ、身も心も手に入れたものの、願いを叶えると。
魔女は、約束した。
わたしを見下ろす木豆くんは、何故だろう、少し笑ったようだった。
「あなたは、もしかしたらとても愚かなのかもしれないね? ……まだ、屈服していないんだから」